人生は冥土までの暇潰し

2018年4月24日 (火)

応神天皇の秘密(4)

人生は冥土までの暇つぶし

倭は日本列島にあった国ではなく、元来から朝鮮半島に在ったのだし(下図)、決して日本(日本人)のことではなかった!
応神天皇の秘密(3)

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『卑弥呼の正体』p.187


今回の堺市で飯山一郎さんとお会いしたのは四回目(東京→青州→大阪→堺)となったわけだが、歴史が話の中心となったのは二回ある。初回は一昨年秋の青州、そして今回の堺だ。青州には四日間滞在し、歴史の深奥について多くを聞いた。そのあたりの報告は、「青州で思ふ」と題したシリーズで計9本の記事を書いているが、中でも歴史を中心に書いた記事は以下の4本である。

青州で思ふ(3)…古代中国
青州で思ふ(4)…古代朝鮮
青州で思ふ(5)…古代日本
青州で思ふ(6)…総括(殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済→日本)


青州では「青州で思ふ(3)」にある古代中国の話を中心に、飯山一郎さんの話を四日間かけて聞いたわけだが、今回の堺市では二日間かけて「青州で思ふ(4)」の古代朝鮮について聞いたことになる。殊に、話の中心は朝鮮半島の三国時代(紀元前1世紀~7世紀)で、そのあたりを中心に幾本かの記事を書くつもりでいた。

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朝鮮史

ところが先週金曜日の夜、長年の付き合いのあるドイツの翻訳会社からメールが届き、昨年の晩秋あたりから予告のあった大量の仕事(翻訳)が、今週からスタートすることが本決まりとなったと書いてあった。だから、慌てて「応神天皇の秘密(3)」を一昨日アップしたのだが、どう考えてみても、予定していた残り数本の記事を書き終えるのは無理…。

そして今朝、件の翻訳会社から大量の翻訳ファイルが届いたという次第だ。当初は20万語ていどと言われていたのだが、いざフタを開けてみたところ、ナント倍近くの36万ワード…。今までの体験から、36万ワードを翻訳し終えるのに数ヶ月かかるはずで、7月下旬にアルゼンチンへ発つまでに終わるかかどうか心許ない。もしかしたら、アルゼンチンに行っても仕事を続けざるを得ないかもしれないのだ。よって、次の「応神天皇の秘密」シリーズを書くにしても、アルゼンチンから帰国して以降のことになりそうだ。

むろん、途中で時間が取れたら「応神天皇の秘密」シリーズを書くかもしれないが、そのあたりは皆目わからないというのがホントウのところだ。そこで、本稿では堺市で耳にした飯山史観のあらましを、箇条書き(順不同)の形で示しておくことにしたい。

■応神天皇の出自は熊襲
堺で飯山さんの話を伺って、話の骨格が【連載:ホンダワケ】シリーズに示されていると改めて思ったので、以下にリンクを張っておこう。

応神天皇は仲哀天皇の子?
巨大な前方後円墳の原型は?
やはり応神天皇は…


ここで、応神天皇の御代以降、熊襲は隼人と称されるようになったという点に注目の上、その背景を上の記事で確認していただきたい。

また、皇統という観点から見た、応神天皇についての以下の記事も重要である。

応神天皇(ホンダワケ)が祟る時代が来る…鴨


■蒲生君平の著した『山陵志』
「初めて古墳を天皇陵(山陵)として比定したのが、江戸時代の蒲生君平である」と飯山さんは語っていたが、それと関連して、山形明郷先生の以下の言葉を併せて紹介しておく。

ところで、ここに一つ不審に思われることがあるので、概略を述べておきたい。

わが国の史学者は、どういうわけか他国の歴史に関するものであるとわざわざ出向していき、めったやたら陵墓を掘り返し、何が出土したの発見されたのなどと、他国の歴史的存在や文化程度の一端が解明されたと発表しているが、こと自分たち日本列島の具体的な歴史解明については、一向になされず放置したままで平然としている。

このことは、学者のみならず、一般の研究家と称される人たちもまったく同じ姿勢なのである。これはいったい、なぜなのであろうか。

日本の古代史を語る上で、つねに持ち出されるのが、その信愚性がまったく定かではない「魏志」を始めとする「倭人伝」一辺倒の解釈である。

「倭人伝」を引っぱり出して云々することは各人の自由であるが、それならば「邪馬台」やその国の女王であったという「卑弥呼」の墓と推定されている「箸墓古墳」を始め、幾多の陵墓が現存しているのであるから、なぜそれらの墓を調査しないのであろうか?

それは、現在の皇室に関わる存在であるから、という懸念からだとするならば、そのような考え方は一掃されるべきである。

今日現在、天皇の陵墓としてみなされている存在は、百パーセントの確率で考古学上の物証は皆無である。江戸の寛永年中、蒲生君平によって編纂された『山陵志』が語っているに過ぎないからである。

『古代史犯罪』p.79~80


また、以下は飯山さんが蒲生君平について言及した投稿…。

天武以前の日本は古墳時代で、豪族たちが合従連衡していました。

その豪族たちの中で最大の勢力を誇っていた首長の墓が仁徳天皇陵とした
のは、伊勢松阪の本居宣長の指導で蒲生君平が書いた『山陵志』が最初。
これを後代の学者がほとんど検証しないまま、現在に至っている…。

ズバリ言えば、仁徳天皇は架空の存在です。実在した証拠はありません。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/14186314/917/


豪族に関して、同じく飯山さんの以下の投稿にも注目されたい。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15523279/932/

■唐仁大塚古墳
【参照】飯山HP

昨日は朝から夜まで隣町で歴史の勉強!
断定:「日本国」は大隅半島で建国された!
日本建国の秘密は大隅半島にある!


堺市で、堺のおっさんと亀さんのみに配布してくれた史料、以下に公表する。

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■原田古墳
参考【飯山HP】
あらびき茶の産地は 日本古代史の舞台

■日本書紀
日本書紀は幾つかの改訂版があり、版を重ねる毎に六代の天皇について、良い書き方をしなくなっていくのがわかる。

応神天皇 陵の記載なし
允恭天皇 皇居地の記載なし
雄略天皇 兄弟殺害等の暴虐
清寧天皇 皇后の記載なし 皇子なし
顕宗天皇 兄の仁賢天皇より先に即位
 皇統は兄の仁賢天皇にまわる
武烈天皇 暴虐、皇子の記載なし

藤原不比等は日本書紀に登場する、応神天皇から武烈天皇までを悪ざまに改訂しているわけだが、古事記同様、日本書紀初版には、上記の天皇について悪く書いてはいなかったのだ。

■開化天皇
欠史八代の最後の天皇である開化天皇から初めて枝分かれし、そこから安倍晋三の遠祖が出た。従って、現皇室(田布施)よりも前に分家していることから、安倍家の方が格上と安倍総理は認識している。

なを、流れとしては葛城王朝(欠史八代王朝)→イリ王朝(崇神王朝または三輪王朝)→ワケ王朝(応神王朝または河内王朝)と王朝の交替があった(継体天皇以降の王朝は略)。

■東アジアの二大源流(殷とツングース)
・殷のシャーマニズムを引き継いでいるのが日本の今上天皇。
・ツングースのツンとは豚の意。

殷のシャーマニズムについては、拙稿「天頂に生きる」に書いた。ツング=豚については、飯山さんが幾本か記事にしている。たとえば、「われわれの先祖は豚を飼う民族だった」を参照のこと。

上記以外に、誉田八幡宮の宝物館に入館させていただいて観賞した金銅透彫鞍金具、部落の起源、鯨解体族、その他という具合に書きたいテーマも多いのだが、ネットという公の場では発表できない秘話も多々あるので割愛させていただく。

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宝物館の前庭に咲く紅白梅

ここで一言。

亀さんが堺市に赴いて飯山さんの話を聞きに行ったのは、知的好奇心から飯山史観に関心があるというだけではない。新しい御代を迎える来年5月以降、どのように生きていくべきか、自分なりの羅針盤を作成したいと思ったからだ。そのあたりは、今年の忘年会の勉強会において発表できればと思う。

なを、アルゼンチンでの体験もブログ記事にする予定だが、これは「応神天皇の秘密」シリーズが終わってからにしたい。

最後に、堺市で別れる際に飯山さんが次のように言ってくれた。

今度は、古代日本について語りたいことがある。場所は志布志!


いよいよ大詰めとなる飯山史観についての最終話、志布志市で古代日本の秘密に迫る話を聞くことになるわけで、今から楽しみだ。しかし、その前に、「応神天皇の秘密」シリーズを完結せねばならぬ…。

2018年4月22日 (日)

応神天皇の秘密(3)

人生は冥土までの暇潰し

倭が日本列島にあったと頭から信じ切っている。
応神天皇の秘密(2)


前稿で取り上げた歴史雑学探究倶楽部編『天皇家の謎』の場合、倭が日本列島にあったと頭から信じ切っていたし、安本美典氏の場合も、倭は日本のことだと思い込んでいるのが一目瞭然であった。以下、安本氏の『応神天皇の秘密』からの引用である。

すべて(※)「海」を渡ったと記している。

これらは、日本列島にいた「倭」が、海をわたって朝鮮半島におもむいたことを記している。「倭」が日本列島の勢力であることを示している。そして、日本がわの文献『古事記』『日本書紀』を読めば、渡っていった主体は、神功皇后に率いられた軍隊であると記されている。

以上で用いた諸史料のうち、「広開土王碑の碑文」の年代などは、同時代史料なので、ほぼ確実である。

『応神天皇の秘密』p.90

(※)広開土王碑、古事記、日本書紀を指している。


「倭が日本列島にあったと頭から信じ切っている」のは、なにも歴史雑学探究倶楽部や安本氏だけではない。実は、どの辞書や百科事典も押し並べて、倭は日本のことだと解説しているのだ。たとえばデジタル大辞泉の場合、「」について以下のように定義している。

日本人の住む国。古代、中国から日本を呼んだ名。


事実は、倭は日本列島にあった国ではなく、元来から朝鮮半島に在ったのだし(下図)、決して日本(日本人)のことではなかった! その倭について、山形明郷先生は以下のように書いている。

倭人は現韓半島の南部、すなわち慶尚南道の海岸地帯から、全羅南北道の広汎な地域にわたって住んでいた『在地原住民』なのである。その居住区域は、極めて広く、また、その数は厖大なものであったと思われるのである。
『卑弥呼の正体』p.210


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『卑弥呼の正体』p.187

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3月3日、深夜の堺市にて。手前の本は山形明郷先生の『古代史犯罪』

さて、前稿で「■応神天皇の生きた時代」について書くと約束していたが、その前に古墳時代から飛鳥時代(592年~710年)にかけて、つまり、国のかたちが一応成立した(中央集権国家成立)頃までを簡単に取り上げておこう。

■応神天皇の生きた時代
先月、紀伊田辺と大阪の堺を旅していた車中、『応神天皇の秘密』をパラパラと捲ってみたが、出鱈目だらけというのが率直な読後感だった。ただ、飯山一郎さんも指摘しておられるように、「応神天皇=ホンダワケが,武内の宿彌と神功皇后とのあいだの子である」、という考察は評価に値すると思うし、それだけでも安本氏の『応神天皇の秘密』を入手しただけの価値はあった。

ここで、大和政権をキーワードに、各々の辞書や百科事典が大和政権について、どのような解説を行っているのか確認しておこう。以下はデジタル大辞泉の「大和政権」の定義である。

大和および河内(かわち)を中心とする諸豪族の連合政権。大王(おおきみ)とよばれる首長を盟主に、畿内地方から4世紀中ごろには西日本を統一し、4世紀末には朝鮮に進出。種々の技術を持つ渡来人を登用し、5世紀末から6世紀ごろには部民制・氏姓制度による支配機構が成立し、国・県(あがた)による地方統治組織が整えられ、大化の改新を経て律令国家へとつながっていった。


上記の「大和政権」について解説したページではデジタル大辞泉以外に、マイペディアといった百科事典の詳しい解説も併記されているので参照していただきたい。では、デジタル大辞泉などの解説を叩き台に、次稿では飯山史観と対比させる形で、具体的に「■応神天皇の生きた時代」について筆を進めることにしよう。

2018年4月17日 (火)

応神天皇の秘密(2)

人生は冥土までの暇潰し

実に衝撃的な内容であった。
応神天皇の秘密(1)

今回より「応神天皇の秘密」に筆を進めていくことになるが、その前準備として二本の小節を書いておきたい。一本は、我々が学校の教科書で習ってきた日本史。これを、一度突き放す形で見直して欲しいと思い、本稿「■日本史の〝常識〟を乗り越える」を書いた。そして、もう一本は次稿で取り上げる予定の「■応神天皇の生きた時代」で、応神天皇の御代とは、どのような時代だったのかについて振り返ってみたいと思う。何故なら、そうしないことには、何故に飯山史観が〝衝撃的〟なのか、てんで分からなくなるからである。

■日本史の〝常識〟を乗り越える
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初代の神武天皇から綿々と続いてきた皇統、現在の今上陛下は初代神武天皇から数えて第125代目の天皇であられる。神武天皇以降、2678年もの時間が経過、読者の頭の中では、天皇家について分からないことが幾つもあるのではないだろうか。たとえば、手許にある『天皇家の謎』の目次に目を通すに、以下のようなことが天皇家にまつわる謎とされているようだ。

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念のため、久しぶりに同書をサーッと斜め読みしてみたが、無知蒙昧という他はない。たとえば「謎の四世紀をめぐって」(p.52)という小節だが、五世紀前半の応神天皇とも関連してくることもあり、少々長くなるものの、以下に同小節の全文を引用しておこう。

謎の四世紀をめぐって
抜け落ちた大和朝廷成立と倭の五王

史書に記されない空白の時代
まだ日本に文字が入っていなかった時代の出来事を知るには、周辺の国、なかでも中国の史書に頼るしかない。

実際、日本列島の出来事と思われる記述は、西暦五十七年ごろの『漢書地理史』にはやくも登場している。また、有名な邪馬台国と卑弥呼について書かれているのも中国の『魏志倭人伝』だ。

ところが、ある時期から中国の史書に、日本の記述が見られなくなる。およそ百年、西暦四世紀から五世紀にかけての出来事が、まるでわからなくなってしまうのだ。

古代のことだ。百年くらい、どうということはないと思われるかもしれない。

だが、この百年は、日本という国にとって、きわめて重要な百年なのだ。

というのも、それ以前の中国の史書は「倭」という国について記述している。それは、女王卑弥呼の「邪馬台国」に連なる国だ。

ところが百年後、再び中国の史書に登場するのは、いわゆる「倭の五王」と呼ばれる大王たちで、彼らはいずれも「大和朝廷しの「天皇」に相当する人物なのである。

この百年は、大和朝廷成立の経緯が詰めこまれた、きわめて重要な年代だった。にもかかわらず、なんの記録も残されていない。ゆえにそれを「謎の四世紀」と呼ぶのである。

謎の百年の間になにが起こつたのか?

大和朝廷成立にかかわる百年が抜けているということは、この日本という国の起こりが抜けているということに等しい。

つまりわれわれは、もっとも重要な「国の始まり」の歴史がわかっていないのだ。

ちなみに「倭の五王」とは、『宋書』や『梁書』に登場する「賛(讃)、珍、済、興、武」五人の王のことをいう。この五王がどの天皇にあたるかについては諸説あるが、最後の「武」を雄略天皇にあてることはほぼ一致している。そして「興」が安康天皇、「済」が允恭天皇ということも問題はない。意見が分かれるのは賛と珍で、それぞれを履中・反正天皇にあてる説もあれば、応神・仁徳天皇にあてる説もある。

が、いずれにせよそれは十五代から二十一代という天皇の時代であり、それ以前の初代神武天皇から応神天皇までの時代がそのまま謎の四世紀、ということになるわけだ。

四世紀、列島で何が起こっていたのか?

邪馬台国論争にしても、もとはといえばここに原因がある。邪馬台国は畿内にあり、そのまま大和朝廷になったのか? あるいは九州の邪馬台国が東征したのか? 邪馬台国が九州の地方勢力で終わり、大和朝廷は別にどこかで発生した可能性もある。騎馬民族による日本征服説にしても、やはりこの謎の四世紀の出来事なのである。

辛亥銘鉄剣と雄略天皇
ところで、日本にも数少ないながら、この時代の史料が残されていた。

一九七八年のことだ。埼玉県行田市の埼玉古墳群稲荷山古墳から出土した鉄剣に、百十五字からなる金象嵌の銘文が刻まれていることがわかったのだ。

衝撃的だったのはそこに「私は獲加多支鹵大王に仕え、天下を治めるのを補佐してきました。そこで辛亥年七月に、これまでの功績を剣に刻んで記念とします」(意訳)と書かれていたことだった。というのも、「辛亥年」は四七一年と推定されるので、文中の「獲加多支鹵大王」は、「オホハツセワカタケル」――雄略天皇ということになるからである。

雄略天皇は、中国の史書に「倭王武」として登場する人物だ。つまり、この天皇が実在し、しかも当時、勢力を北関東にまで及ぼしていた、という証明になるわけである。

一方、この「辛亥年」を六十年後の五三一年とする説もある。この場合は、「ワカタケル」は欽明天皇ということになる。

この違いは大きく、もしも「ワカタケル」が雄略天皇なら、謎の四世紀からわずか百年で東国に勢力を伸ばしていたことになる。その場合、畿内勢力はかなり早い段階から成熟していた――邪馬台国は畿内にあった――ことの傍証になるというわけだ。はたして、どちらが正しいのだろうか。

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どうだろうか? もし、読者が上記の小節を読んで、何等疑問を感じなかったのであれば、以降の拙記事に目を通す前に、『卑弥呼の正体』(山形明郷 三五館)を熟読していただきたいと思う。

ちなみに、『天皇の謎』を著したのは歴史雑学探究倶楽部という所のようだが、雑学の名が示すとおり実に雑な内容、出鱈目のオンパレードである。上の小節「謎の四世紀をめぐって」に目を通しただけでも、卑弥呼が日本列島に居たと思い込んでいる、倭が日本列島にあったと頭から信じ切っているといった具合で、目も当てられないとはこのことだと思った。もし、歴史雑学探究倶楽部のように、倭が日本列島にあったと思い込んでいる読者がいたとしたら、上に紹介した『卑弥呼の正体』の第九章、「倭はどこだったのか」の熟読をお勧めする。

ともあれ、『天皇家の謎』では日本の四世紀は謎であると主張しているのだが、とんでもないことである。そのあたりは、次稿以降において敷衍していくとして、「応神天皇の秘密」シリーズを開始する理由の一つが、この機会に、従来の教科書的な日本史を乗り越えて欲しいからだ。

2018年4月16日 (月)

応神天皇の秘密(1)

人生は冥土までの暇潰し
大阪府羽曳野市に位置する応神天皇陵、飯山一郎さんや堺市の同志と一緒に訪れたのは、前日は紀伊田辺に泊まり(「南方熊楠の世界(1)」参照)、翌朝の特急に乗って堺市に到着した3月3日(土)だった。そして翌日に跨がること2日間、応神天皇を中心テーマとした、興味深い歴史の講義を飯山さんから受けたのだが、実に衝撃的な内容であった。だから、一刻も早く放知技の読者に報告したかったのだが、その直前に訪れた紀伊田辺でも多くの出来事を体験したこともあり、最初に南方熊楠シリーズを書いたのと、仕事(翻訳)の納期に連日のように追われていたのとで、なかなか「応神天皇の秘密」シリーズに筆が進まなかった。しかし、昨日今日に至って漸く仕事が一段落、応神天皇シリーズに取り組むことができるようになった次第だ。

さて、本シリーズでは幾本かの記事を書く予定だが、初回の今回は両日とった行動のあらましを述べておこう。

■3月3日(土)
飯山さん一行は志布志と堺を結ぶフェリー「さんふらわあ」で、前日の3月2日18:30に志布志を発ち、翌日3月3日午前8時50分に大阪に到着、その足で宿泊先のホテルに直行している。だから、到着したばかりの飯山さん一行が、ホテルのロビーで寛いでいた時、亀さんも同ホテルに到着した形だ。そして挨拶もそこそこに、早速、飯山さんによる応神天皇を中心とした、飯山史観の講義がスタートしたのだが、その日に飛び出した飯山史観については次稿以降に書く。

その後、堺市役所の展望台に向かい、眼下に仁徳天皇陵を眺めつつ、再び飯山さんの講義が続いた。本来は同展望台で昼食会のはずが、参加者からの質問が相次いだため、「一日一食の猛者ばかりなのだから、昼飯くらい抜いても大丈夫だろう」という飯山さんの鶴の一声で、同展望台での昼食は急遽中止、急ぎ車に分乗して応神天皇陵へと向かった。(後で聞いた話だが、参加者の一人「舎弟のもっちゃん」は一日三食主義だったようで、大変な思いをしたらしい…笑)

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百舌鳥古墳群をめぐって活発な議論が交わされた

到着後、最初に応神天皇の御霊に二礼二拍一礼した後、神主さん親子の説明を受け、続いて宮内庁管轄の応神天皇陵に案内していただき、ほぼ全員が生まれて初めて、応神天皇陵の一部を目の当たりにした。なかでも猿都瑠さんの場合、実に思うところ大だったようだ。

その後は全員で堺市に戻り、夕食会。最初は話者の中心が飯山さんだったのだが、次第に堺市役所の展望台で合流したYさんが話のリードを握るようになった。やがて、話(酒?)の勢いで全員でYさん宅に押しかることになり、そこで二次会と相成る。その後はホテルに戻り、堺のおっさんの部屋で飯山さんをはじめ皆さんが集合、深夜まで話が続いたというが、亀さんは紀伊田辺での疲れが溜まっていた上、珍しく当日は酔ったこともあって、残念ながら顔を出していない。

■3月4日(日)
翌日の3月4日、ホテルのロビーに再び集合。飯山さんによる講義が暫く続いた後、堺のおっさんから今後の乳酸菌事業の詳しい説明があった。その後は再び車に分乗して、大阪は難波へと向かた。今思い出すに、活気に満ちあふれた難波を肌で感じるという、滅多にない機会となった。

昼食に鯨料理専門店「徳家」で、美味しい鯨料理に舌鼓を打ちつつ、さらに楽しい会話が弾んだ。ふと腕時計を見ると、もう夕方の5時半、皆さんへの別れの挨拶もそこそこに、急ぎ新大阪駅の新幹線のホームへ向かってダッシュ、辛うじて終電数本前の電車で関東のチベット、飯能に戻ることができた。

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次稿より、いよいよ飯山さんが堺市で語ってくれた、応神天皇の秘密に迫る話に筆を進めることにしよう。

2018年4月 9日 (月)

南方熊楠の世界(4)

人生は冥土までの暇潰し
■エコロジーと乳酸菌
今回をもって南方熊楠シリーズの最終回とするが、この機会に鶴見和子の著した『南方熊楠』の最終節を紹介しておこう。

iv 自然の循環の法則をとりいれた新しい技術の開拓をめざす
南方植物研究所は実現しなかった。しかし、南方が、栽培した藻から寒天を作り、寒天によってバクテリアを培養し、バクテリアによって空中の窒素を分離するというアイディアは、自然然循環の法則を、人間がとりいれて、技術化するという考えである。これは、自然を人間が、人工の法則によって支配するという原理にもとづく機械文明の技術観と異る。自然支配の技術観が、公害を生み出し、自然環境を破壊することによって、人間そのものを崩壊させている今日の地球上の状況対して南方の自然と共生するという考えは、未来を先取りしていたということができる。

南方熊楠を、近代日本の独創的な思想家として、わたしは評価する。この本は、その発端を示しただけである。読者のとりひとりが、南方の原典を読み、そこに流れる思想の水脈を掘りあてていただきたい。今、日本で起こっている、そして地球上で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにあるとわたしは考える。

p.241


最終節で注目していただきたいのは、「今、日本で起こっている、そして地球上で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにある」という結語だ。何故なら、この鶴見の結語は、今や大きく時代が動こうとしている現在と、多くの点で重なってくるからだ。そのあたりは、掲示板「放知技」でも話題になった、「第52回国家公務員合同初任研修開講式」での安倍総理の訓示に耳を傾ければ、肌で感じることができるはずだ。

加えて、「南方の自然と共生するという考えは、未来を先取りしていた」という鶴見の記述、この南方のエコロジー観こそ、鶴見の『南方熊楠』を貫いている南方思想なのだが、この南方思想を具現化した一例が、飯山一郎さんが提唱している乳酸菌である。乳酸菌については、飯山さんのHPの読者であれば説明は不要と思うが、乳酸菌が近未来に大きくブレークすることを予感させる記事を、野崎晃市博士の『文殊菩薩』から一本だけ紹介しておこう。
大連の食品加工業者と会合

また、3月4日の堺市での会合でも、飯山さんと堺のおっさんから、乳酸菌を主体とした今後の事業展開についての貴重な話を伺っている。

このように、乳酸菌一つとっても無限のフロンティアが目の前に広がっているのだが、乳酸菌やAIだけに限らず、新時代を切り拓いていく上でキーとなるのが人材である。前稿「南方熊楠の世界(3)」で、現代日本人のタイプを亀さんは以下のように分けた。

国粋派
コスモポリタン派
脱藩派


同稿では脱藩派について少し触れただけであり、また国粋派とコスモポリタン派に至っては解説すら行っていないので、この機会に今までの亀さんの歩みと重ね合わせる形で、上記三タイプの人間型について敷衍しておこう。

■コスモポリタン派
「南方熊楠の世界(3)」にも書いたとおり、亀さんの脱藩人としての修行は、十代という多感な時期に日本を飛び立った日、1972年3月23日に始まった。その後、多感な時期を三年近くにわたり海外で過ごしたことで、「己れを生み育んでくれた祖国を思う一方で、相手の国籍や肌の色に拘ることなく、お互いに同じ人間として自然に接することができる」という、脱藩人としての土台が辛うじて完成したのである。

ここで、三省堂の大辞林(電子版)は「コスモポリタン」について、どう定義しているのか確認しておこう。

一つの国や民族にとらわれず、全世界を自国として考え、生活する人。世界市民。国際人。


一見、脱藩派の定義かと勘違いしそうな定義である。それはともかく、そもそも大辞林が定義するような「全世界を自国として考え、生活する」人間が、本当に存在するのだろうか…。大辞林の「コスモポリタン」の定義、言葉の響きこそ心地よいものの、実は根無し草と紙一重、否、はっきり言ってしまえば根無し草そのものを指しているに過ぎない。

このあたりをもう少し具体的に、言葉の観点から考察してみよう。亀さんが私淑していた故國弘正雄の話を、拙稿「和僑」に書いたことがある。

ここで、人の思考行動形式を支配している根源的なもの、それはその人の母語であると亀さんは思っている。そのあたりを教えてくれたのが、同時通訳の泰斗・故國弘正雄であった。國弘先生の資料が見つからないので朧気な記憶で書くが、「人の生涯の母語は小学校2~3年生ころまでに決まり、その年齢を過ぎると後はどんなに努力してもバイリンガルには成るのかせいぜいで、一部の天才を除き、絶対にバイカルチャーには成れない」というものである。これは亀さんの体験からもその通りだと思う。英語と日本語のバイリンガル、時には数ヶ国語を自由に操る知人友人には数多く出会ったものの、未だにバイカルチャーの人間と出会ったことはない。


「人の思考行動形式を支配している根源的なもの」こそが母語なのであり、別の表現を使うとすれば、子守歌を聞きながら自然に身につけた言葉こそ、母語と云えるのである。こうした視点を持つ身として、「一つの国や民族にとらわれない」だの、「全世界を自国として考え、生活する」だのといったのは、単なる根無し草の戯れ言にしか映らないのである。

かつて、亀さんは道友の葛巻岳さんと一緒に、「脱藩道場」を立ち上げたことがあり、この「脱藩」という看板名は、藤原肇氏の著した『日本脱藩のすすめ』から来ている。因みに、『日本脱藩のすすめ』は以下で読むことができる。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/dappan/dappan.html

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このページは、亀さんが『日本脱藩のすすめ』をOCRで読み取って電子データにしたものだ。この作業を行ったのは20年前のことで、当時の亀さんは「国粋主義者vs.コスモポリタン」という構図しか頭に無かったのだが、同書のお陰で、第三の「脱藩人」という概念を獲得できたことは、今思うに大きかった。

しかし、当時の亀さんはコスモポリタンと脱藩人の区別が余り明確ではなかったのも本当だ。たとえば、あのジョージ・ソロス。当時の亀さんは、ソロスと言えば超金持ちの投資家ていどにしか思っていなかったのである。だから、小人数での会合で藤原氏が、「ジョージ・ソロスからメールで返信をもらった」と、自慢げに携帯でソロスの私信を見せてくれた時は、「あの有名なソロスから…、大したものだ!」と、大変感心した己れを今でも覚えている…。

■国粋派
その藤原氏と喧嘩別れをした頃、藤原氏を通じて付き合いの始まった栗原茂さんに、『みち』の編集人・天童竺丸さんに引き合わせてもらったという次第である。同編集室に集う人たちは、コスモポリタンとは対極的な立場の人たちで、己れを生み育んでくれた祖国をこよなく愛する、国粋主義傾向の強い人たちであった。ここで再び三省堂の大辞林を紐解けば、国粋派すなわち「国粋主義」について以下のように定義している。

自国民および自国の文化・伝統を他国より優れたものとして、排外的にそれを守り広げようとする考え方。


『みち』の編集室で月に一回行われる「まほろば会」には、月刊日本の関係者も参加しており、それが縁で同誌の定期購読を始めている。当時の同誌はまさに、国粋主義を地で行く雑誌だったし、自分の知らなかった祖国日本の姿について、実に多くを学んだものである。

しかし、時間の経過とともに『月刊日本』と『みち』の限界が見えるようになってきたのも確かだ。たとえば『月刊日本』、既に拙ブログでも記事にしたとおり、今や同誌は完全なネオコン誌に転向した雑誌である。一方、『月刊日本』の関係者が参加する『みち』の場合はどうか? 今のところあからさまなネオコン路線に染まっていないし、個人的に同誌の校正のお手伝いもしている上、人間的に温かい人たちが多いことから、当面はお付き合いを続けさせていただくつもりだが、コスモポリタン派vs.国粋派というモノサシで分けるとすれば、明らかに『みち』も国粋主義的な傾向の強い雑誌であることは確かである。

たとえば、一昨年の秋に中国の青州市を訪問、帰国して久方ぶりにまほろば会に顔を出した時、常連の一人に、「あっ、支那の臭いがする」と声高に言われた時は、ただただ苦笑するしかなかった。『みち』の執筆者も一部を除き、全員が中国ではなく支那と言ったり書いたりしているのだが、これは表現(言論)の自由であり、亀さんは全く気にもしていない。ただ、拙稿「青州で思ふ(7)」にも書いた、毛允明社長や張苓明氏の人物を目の当たりにしている身として、中国人が嫌がっている支那という言葉を口にすることは、今後もないだろう。仮にお二人の前で支那という言葉を口にすれば、それまでに築いてきた良好な関係は、一瞬にして水泡に帰す。

■脱藩派
以上から、現代日本人、殊に新時代の日本を背負う、若い日本人の理想像は脱藩人である。だから、一人でも多くの若い日本人の脱藩人を輩出させることに、残り少ない冥途までの人生を懸けたいと、心から思う今日この頃である。

2018年3月 9日 (金)

南方熊楠の世界(1)

人生は冥土までの暇潰し
3月2日、新大阪駅10:15発のくろしお7号に乗り、紀伊田辺駅には12:38に到着、実に40年振りに踏んだ紀伊田辺の土であった。駅の改札口を出ると、そこには懐かしい友人K君の顔が…。最初にK君の自宅に寄り、上さんへの挨拶もそこそこに荷物を預け、車で南方熊楠顕彰館→天神崎(ナショナル・トラスト発祥の地)→南方熊楠記念館→白浜の観光スポット(白良浜・円月島・千畳敷・三段壁・平草原)と巡った。最後に訪れた平草原には、白浜の街を一望の下に見渡せる展望台があったのだが、そこから念願だった神島を目にすることができ、感無量であった。

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中央やや右寄りの小島が神島(亀さん撮影)

この神島であるが、皇太子時代から粘菌に関心を持たれていた昭和天皇の強いご要望もあり、昭和4年6月1日、神島で熊楠は陛下をお迎えしている。その後、御召艦・長門の艦上にて約25分間、田辺湾の生物について熊楠は御進講を行ったのだった。ちなみに昭和天皇は後、御製に南方熊楠の名を詠んでおられるのだが、そのあたりは拙稿「南方マンダラ」で紹介済みである。

一通り熊楠の足跡を巡った後、長生の湯でK君と露天風呂に浸かりながら、お互いの近状報告、家族、人生の無常、その他について、しばし時が経つのも忘れて語り合った。辺りが暗くなりかけた頃、夕餉の支度を終えたK君の上さんが、我々が戻るのを待っていることもあり、急ぎ夕方6時過ぎにK君宅へと向かった。

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そして迎えた翌朝、新大阪行きの6:51発のくろしお6号で紀伊田辺を発った。わずか半日の滞在だったとは云え、実に密度の濃い旅となった。ここに、改めて半日もの時間を割いて、南方熊楠の足跡巡りに車で案内してくれた、友人K君に心から感謝の意を表したい。本当にありがとう。

さて、旅は続く。新大阪駅に向かう途中の和泉府中で下車、仁徳天皇陵を横目で見ながら、徒歩で飯山一郎さんの仲間が待つホテルへと向かった。その日は堺市に一泊したのだが、実に多くの出来事があった。このあたりの報告は、稿を改めて「応神天皇の秘密」(仮題)として、別シリーズの形で書く予定であるが、その前に、しばし「南方熊楠の世界」シリーズを続けさせていただきたい。ちなみに以下は仮題だが、予定している今後の「南方熊楠の世界」シリーズ内容である。筆を進めていく過程で、以下の予定稿の中で取り止めたり、あるいは別テーマに置き換えたりするかもしれないこと、予めお断りしておく。
■南方マンダラと人体
■南方熊楠と柳田國男
■エコロジーと乳酸菌
■死生観

2018年2月26日 (月)

歴史の闇

人生は冥土までの暇潰し
 
 
例によって、安西正鷹さんが安西ファイルを送ってくれた。実に有り難いことであり、やはり持つべきものは道友である。

さて、今回の安西ファイルで特に注目したのが、「●まつろわぬ神々の反逆」と題する小節であった。以下、同小節を全文引用しておこう。

まつろわぬ神々の反逆
・神社本庁は、敗戦によって国の管理下から離れた神社界をまとめあげるために生まれた民間の宗教法人。神道系の宗教団体として日本で最大。約8万社ある日本の神社のうち7万9千社以上が加盟。その特徴は、伊勢神宮を「本宗」と位置づけたところにある。本宗とは、おおもと、本源を意味する。つまり、皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮を頂点に戴く形で神社界を組織化している。
・ところが、日本の神社で祀られている神々のなかには、『古事記』『日本書紀』などの神話には登場しないものも少なくない。天神も八幡神も、神話には出てこない。稲荷神を祀る伏見稲荷大社は、神社本庁が誕生する際にその傘下には入らなかった。
・八幡神は、もともと九州北部、宇佐地方の渡来人が祀っていた神であり、後に応神天皇と習合して、第二の皇祖神ともされるようになる。その由緒からして、天照大神とは直接には関係しない。少なくとも、八幡神社が伊勢神宮の下にあるというわけではない。
・神社本庁は、ひたすら伊勢神宮の権威を高め、20年に1度の遷宮を無事に果たすことを使命として、傘下の神社から遷宮の必要経費を徴収してきた。伊勢神宮の権威を高め、それを維持することが、神社界全体の利益になるという考え方である。だが、それは、伊勢神宮以外の神社を支える手立てを講じないことを意味する。
・伊勢神宮を頂点とするピラミッド型の支配構造のなかで、天津神系の神社が優遇され、国津神系の神社が冷遇されている。国津神系神社の積年の潜在的な不満と反発の種が、宮司人事の強権発動を機に発現し始めた可能性がある。


安西さんの応神天皇についての記述を目にするに及んで、紀州田辺を訪問した帰り道、途中下車して和歌山市の狸庵に居る、落合莞爾さんを尋ねてみようかと、ふと思った。何故なら、安西ファイルに目を通して、落合さんの主張する「八幡天孫ホムダワケ=第15代・応神天皇」について、この機会に突っ込んで質問してみたくなったからだ。
<落合秘史シリーズ>

しかし、まだ落合さんの応神天皇説について、しっかりと把握しているわけではないので、今回は応神陵と誉田八幡宮(主祭神=応神天皇)のみにしようかと迷っている。

ここで、さらに応神天皇に纏わる歴史の深奥に迫っているのが飯山一郎さんで、掲示板「放知技」の以下の投稿に注目していただきたい。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16256324/794/

上の投稿で紹介されている【連載:ホンダワケ】三部作は、真に歴史の闇に迫る上で必読の部類に属す。
・【連載:ホンダワケ】 応神天皇は仲哀天皇の子?
・【連載:ホンダワケ】 巨大な前方後円墳の原型は?
・【連載:ホンダワケ】 やはり応神天皇は…

ともあれ、久しぶりの紀州田辺…、昨夜も鶴見和子の『南方熊楠』に接し、南方熊楠の海外放浪についての行を読んだが、やはり十代の頃に三年間にわたり、世界各地を放浪した身なので、実に共鳴する箇所が多く、また南方熊楠の心に一層迫ることができたように思う。

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南方熊楠(左)

【お知らせ】

今週後半から数日にわたり、紀州田辺を中心に関西方面を旅する故、旅発ちまでに仕事を片づけたり、旅の準備や情報収集に時間を取られそうです。よって、関西から戻ってくるまでは、特別大きな事件でも起きない限り、ブログ更新を休む予定です。

2018年2月25日 (日)

民族性の違い

人生は冥土までの暇潰し
現在、来月16日締め切りの大量の仕事(翻訳)に四苦八苦している。本来なら、楽々締め切りまで終わるはずの翻訳量なのだが、今回はナント、頭の痛くなりそうな微分積分の公式がアチコチにwww

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亀さんの場合、仕事のほとんどを海外の翻訳会社から承っているが、仕事を引き受けるにあたって、自分の専門分野(自動車・機械・石油・電子機器・マーケティング)の範疇かどうか、じっくりと見極めるのを常としている。現在手掛けている翻訳は、最初の部分だけ原文(英語)にサーッと目を通し、電子機器にインストールするソフトが主テーマと判断、これなら楽勝だと思って承ったのだが、途中でナント微分積分の公式のオンパレード…。

それでも、一応承ったからには、最後までやり遂げなければならないつうのが翻訳者なのだ。かつ、今週末に和歌山県に出かけるので、「悪いけど、数日旅に出る予定があるんで、締め切りを少し延ばしてくんない」と頼んだところ、あっさりとOK、締切日を一週間も延ばしてくれた。だから、このように余裕をもってブログ記事を書けるつうワケなんだが、その仕事を依頼してきたのは南欧の翻訳会社で、結構大きな翻訳会社(多分、南欧では一番大きい)だ。

しかし、ラテン気質つうか、その翻訳会社で亀さんを担当しているのは、ナント30名近くのコーディネーター(翻訳を依頼してくる女の子)だ。流石に南欧の翻訳会社だけあって、時には一日あたり10名もの女の子が、ドーッと亀さん目がけて仕事の打診メールを送ってくる日もしばしば…。すべてを承るとパンクする(処理しきれない)ので、半分以上は断っているのが現実だ。また、マリアだのシルビアだのといった、同じ名前のコーディネーターが数名かいるので、頭が混乱したことも一度や二度ではない…。だから、時々訳出済みの間違ったファイルを送ったりして、お姉ちゃんたちに怒られたことも多い。

その点、西欧つうか中欧の翻訳会社のコーディネーターは、緻密かつ堅実だ。たとえば、例えば昨年の11月、20万ワード(英語)前後の翻訳を今年の1月から3月にかけてお願いしたいと、ここ10年近くの付き合いのある、ドイツの翻訳会社のコーディネーターからメールがあり、亀さんは3ヶ月で一気呵成に翻訳を完了させるものとばかり思っていたところ、そうではなくて最初は用語集作成のため用語の翻訳、続いて略語解説の翻訳依頼という具合に、(翻訳の)同業者なら分かってくれると思うが、実に理想的な翻訳作業の進め方なのである。多分、半年以上の時間をかけて、全体で20万ワードを亀さん一人で翻訳するのだと思うが、その間に当方ではクライアントの主要製品について勉強したり、1ヶ月ほど海外(南米)に出かけるなど、余裕をもって仕事に取り組めるので実に有り難い。

それにしても、同じヨーロッパつうのに、こうも民族によって違うものなのか…。

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お付き合いのある翻訳会社のお姉ちゃんたち(米国)

互助の精神

人生は冥土までの暇潰し
今週後半、紀州田辺の友人と久しぶりに再会するにあたり、現在『南方熊楠』(鶴見和子 講談社学術文庫)を読み進めているが、時折立ち止まって本のページを閉じることがある。昨夜も、南方熊楠の独創性は何処から来ているのかと、あれこれ考え始めたためページが進まなくなった。その時、目にしたのがmespesadoさんの投稿である。
■ 「自衛隊」の方が「軍隊」よりも「格が上」である ■

読み進めながら、ハッとしたのが以下の文章だ(一部改行)。

もともと生物は、通婚可能なグループの構成メンバーを「助け合う」ことにより、将来にわたる遺伝子の繁栄に有利になることから、「助け合いの精神」「利他の精神」というものが「本能」として組み込まれています。これは霊長類たる人類にも成り立つ原則なんですが、日本以外の世界では、異なる風俗習慣を持った民族がぶつかり合うことが多かったことから、日本以外の世界では、「ゲームの理論」で有名な「やったもん勝ち」のロジックが「利他の精神」より遺伝子の繁栄に有利になってしまったことから、この「利己的」あるいはキレイな言葉を使えば「個人主義」的な倫理が主流になってしまったわけですが、ひとり日本だけが霊長類本来の「利他的」本能を維持している、ということを述べました。


ここで、七年近く前、東日本大震災の直後だというのに、整然と列をなして並ぶ同朋を思い出したのである。

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東日本大震災の被災者たち 暴動・略奪なく「助け合いの精神」発揮

mespesadoさんの云う、生物が本来持っているという「利他の精神」については、最近も「狼の群れと暮らす」という記事をアップし、ロシアの動物行動学者のヤソン・バドリゼ氏の記事を紹介したが、実は同稿では紹介しなかったエピソードがもう一つある。それが以下だ。

ある時、オオカミたちに熊から身を守ってもらい、彼は彼らが利他的になり得ることの証人となった。人間を身内の一員と見なしたオオカミたちが熊を追い払い、科学者の命を救ったのだ。


この利他的精神という視座で軍隊と自衛隊を比較した、mespesadoさんの投稿は実に新鮮であり、お見事である。ここで、他者には無い物の見方・考え方を、どのようにmespesadoさんは身につけたのか、という素朴な思いが湧き上がったのであり、しばし独創性そのものについて、アレコレ考えを巡らせていた。

そして、ふたたび鶴見の『南方熊楠』に戻り、ページを捲っていく中で、幼年期に周囲の大人たち、殊に親が子の人間形成に及ぼす影響の大きさについての行を読むに及んで、古来から引き継がれてきた互助の精神、mespesadoさんの言葉を借りれば、「助け合いの精神」あるいは「利他的精神」が、未だに残る日本列島が脳裏に浮かんだのだった。

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大陸側から見た日本列島

【グリコのおまけ1】
改憲で自衛隊に感謝を示そう

【グリコのおまけ2】
涙腺崩壊寸前!震災時助かった赤ちゃんと自衛官が1年後に再会した写真が話題に

2018年2月23日 (金)

偉人はスケベー

人生は冥土までの暇つぶし
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 南方熊楠

来月初めに南方熊楠縁の地、紀州田辺に行く前準備として、鶴見和子の著した『南方熊楠』(講談社学術文庫)を少しずつ読み進めているのだが、時々本から目を離して、南方の世界(南方曼荼羅)に思いを巡らす自分がいる。昨夜も、南方熊楠と『ノーツ・エンド・クィアリーズ』(Notes and Queries)について、色々と思うところがあった。

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一つには、人間、スケベーでなければ、ミニ南方熊楠にすら成れぬと悟った…(爆)。南方熊楠のような巨人には到底及ばぬとしても、ミニ南方熊楠を目指すにはスケベーであらねばならぬと心底思ったし、それくらいの〝遊び心〟がなければ、人間駄目だとすら思ったのである。遊び心、それこそが南方マンダラの結実に繋がったのだが、このあたりについては別の機会に書くことがあると思う。

スケベー…、たとえば『南方熊楠』のp.52、「ワイン・グラスと擂り鉢」に目を通しただけでも、スケベー心ならぬ遊び心の大切さを感じるのである。この小節は、「ユダヤ人の結婚式で花婿が最後にワイン・グラスを割る」ことの由来について、ユダヤ系イギリス人が『ノーツ・エンド・クィアリーズ』誌上で、神学などを引用しつつ侃々諤々の議論を展開している様を描いたもので、その中を割り込んだ南方、以下のように言い放ったものだ。

ワイン・グラスを割るのは、擂り鉢を擂りこぎて割るのと同じで、グラスは処女のシンボルではござんせんか。


詳細は同書で確認していただくとして、友人の紀州田辺あたりでは、結婚の宴が終わって花嫁が初夜を迎えるという時、会衆が擂りこぎで擂り鉢を割り、「割れた! 割れた!」と歓声をあげる風習があるとか…。でも、東京で結婚式を挙げた紀州田辺の友人の時は、そんなことをやっていなかったぞぉ…。今でも、こうした風習が残っているのかどうか、来月初めに友人と再会したら確認してみよう…(爆)。

それから、鶴見の『ノーツ・エンド・クィアリーズ』についての行を読みつつ、脳裏に浮かんだのが掲示板「放知技」であった。『ノーツ・エンド・クィアリーズ』の場合は編集者が、これはと思う寄稿を載せているので読み応えがあるが、一方で放知技の場合、誰でも投稿できることもあり、時には「蛆虫」が発生したり、「空気が読めぬ輩」が登場することが多い。また、方や英語、方や日本語という違いもある。こうした違いはさておき、多分、現時点において和製『ノーツ・エンド・クィアリーズ』と、胸を張って云えるのは「放知技」くらいのものだろう。

なを、『ノーツ・エンド・クィアリーズ』における南方熊楠の立ち位置について、鶴見は以下のように表現した。

南方の『ノーツ・エンド・クィアリーズ』への投稿を、その前後の問答の脈路の中において捕らえ直すと、かれが西ヨーロッパの学者、知識人の間にあって、卓越した知識と、特異な照合能力と、独自の分析法をもって、国際的な知的世界に寄与していたことがわかる。


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本当は本稿で曼荼羅、すなわち、「宇宙の真実の姿を、自己の哲学に従って立体または平面によって表現」(p.82)しようと思い、「南方マンダラ」の続編を書くつもりでいたのだが、仕事の締め切りが気になって、なかなか筆が進まない。このあたりは紀州田辺から戻り、仕事を片付けてから腰を据えて書こうと思っている。今年の12月23日の忘年会(於飯能市)でも、午前の部の勉強会で主テーマの一つにしたいだけに、尚更だ。

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最後に、暫くは南方熊楠という森を彷徨い、南方熊楠という世界を大凡掴んだ後、今度は岡潔という森を彷徨ってみたいと思う。岡潔と云えば、まほろば会の林廣同志を思い出す。林さんは生前の岡潔と深い交流があっただけに、いろいろと岡潔の人物ついてのエピソードが聞けそうだ。

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岡潔

【グリコのおまけ1】
南方熊楠は『ノーツ・アンド・クエリーズ』誌をどのように利用したか? : 邦文論考との関係から

【グリコのおまけ2】
平成の今東光こと、飯山一郎

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