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2017年5月19日 (金)

清水精一に学ぶ 

人生は冥土までの暇潰し
 
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三部シリーズとして、「清水精一の人生」で求道一筋だった清水師の人生を述べ、「清水精一と山窩」で山窩が清水の生き方に与えた影響を述べた。最終稿である本稿「清水精一に学ぶ」では、激変する世界情勢を意識しつつ、我々はどう生きていくべきかについて、清水の著した『サンカとともに 大地に生きる』(清水精一 河出書房新社)、そして同書を通じて知り得た清水の生き方をヒントに、激動の世界を我々が生きていく上での一つの羅針盤を示すことで、清水精一シリーズの終わりとしたい。

■自然界
前稿の「清水精一と山窩」で、亀さんは以下のように書いた。

プーチン大統領と安倍首相がフクイチ事故後の処理に乗り出すということが明らかになった。よって、現在は静かに成り行きを見守っているところだが、実際にロシアと日本がフクイチ事故処理に乗り出すまで、日本が持つかどうかという一抹の不安が残る。


2011年3月11日の東日本大震災によって起きたフクイチ事故、6年以上も経った今日に至っても尚、の放射性物質が日本列島に降り注いでいる…。そのため、この列島の住民全員が体内に放射性物質を蓄積、深刻な内部被曝を患うようになったのだが、そうした症状が今後は一層目に見える形となって現れるだろう。ここで、最悪のシナリオを想定しておこう。ロシアと日本がフクイチ鎮圧に乗り出す前に、首都圏が麻痺した場合はどうするべきなのか? それを考えるにあたって、『サンカとともに 大地に生きる』にあった以下の記述を引用しておきたい。

真実を求める道に志さずとも、お前のような原始的生活に這入るならば、それは何人も生物としての生命は維持され得るが、しかし現代人の胃袋は飯を食わねばならぬ。飯を食う生活である。しかし飯を食わねば生きて行けないと定めているところに食えぬ悩みの原因があると思う。
『サンカとともに 大地に生きる』p.74


これは、清水が二年近く深山に籠もっていた頃の話で、第9章「山に籠りて」からの引用だ。最悪の事態に陥れば、スーパーで食料を買うこともできなくなくなる。それでも、人間は飯を食わねば生きていけぬ。よって、ここで考えなければならぬことは、そうした最悪の事態に陥った場合、自分、そして家族の食べる分くらいは自身で作っていく他はないということだ。そうしたことを考えると、今、最も注目するべきは掲示板「放知技」で展開されている、「乳酸菌・アミノ酸農業を語る」というスレッドだ。このスレッドは必見である。何故なら、同スレッドを立ち上げた堺のおっさんをはじめ、常連の投稿者の農についての卓見が素晴らしいからだ。最悪の事態を想定し、かつ人は食わねば生きていけぬということを考えれば、、同スレッドを熟読して自らも農を実践していくべきである。

以下、『サンカとともに 大地に生きる』からの引用が続くが、興味がない方は飛ばしていただいて結構だ。しかし、スレッド「乳酸菌・アミノ酸農業を語る」で、積極的に発言を行っている土に生きる堺のおっさんをはじめ、わっぱさん、小ボンボンさん、河内のおんなさん、岐阜 中野さんらを念頭に置きつつ、敢えて紹介させていただく。

百姓は仕事そのものが座禅である。いらいらしたからとて決して仕事が出来るものではない。どっかりと土に座った心持ちになって行かなくては土の声を通じて自然の妙に触れることが出来ないのである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.229


ドストエフスキーは、人間は裸になって、土の上にごろりと寝ながら、土に接吻の出来るほどの親しみを感じないものは真の芸術を語る資格がないと語っている。
『サンカとともに 大地に生きる』p.231


そもそも地上において絶対信ずべきものは土以外になかろう。その信ずべき土にどっかりと座る行を打ち立てたいのである。土のこころをこころとする生活は、人間のこころへ還ることなのである。吾々は一切をこころから出発したいのである。今日の世は、都会人は土を知らない。また農村人は土の中にいながら真実の土のこころを知らないのである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.235


土は一切を育てる根元である。その精神こそ農を基本とした日本精神であると思う。私は日本精神は日本さえ都合がよければいいと思うようなものでは絶対ないと信じる。
『サンカとともに 大地に生きる』p.235


■人間界
ここで、「乳酸菌・アミノ酸農業を語る」が自然界を対象にしたスレッドであるとすれば、同掲示板で人間界を対象にした代表的なスレッドこそが、「吠えるE爺と 燃える同志たちの闘議場」に他ならない。以下は、二年近くに及んだ山籠もりから、人間界に下ることを決断した清水の言葉である。

私は自然界よりさらに人間界においてその調和を一層味わいたい。人の真只中でひとしおの愛と喜びの世界を味得したい。そうした思いが日一日と強まり、ついに私は秋来たりさらに秋を迎えて新緑に美しい山を後に飜然として下りることにした。
『サンカとともに 大地に生きる』p.86


この機会に是非、「吠えるE爺と 燃える同志たちの闘議場」を覗き、激変する世の荒波を泳いでいく上での羅針盤としていただきたい。

■結語
以下は、清水が山窩の根城を初めて訪れた日、帰り道に山窩の子どもが街まで送ってくれた時の清水とのやり取りで、ここに、現代人と山窩の違いを見る。

おいネス(ネスとは一般人を呼ぶ符牒である)さんあれ見んか、よいお月さんや。皓々と冴えている月を指すのである。冬の月は鋭いほど冴えている。悠々と月を観賞するこの余裕には、私の心を潤おしてくれる充分なものがあった。この頃の都会人には、大人としてもそうした心にはなり得ないだろう。百軒長屋の焦々しい生活からこうした自然人に触れて私はますます考えさせられたのである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.113

 

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