法隆寺を科学する
人生は冥土までの暇潰し
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日本で生まれ育った者にとって、自国の歴史で最大の謎は二つある。一つは「邪馬台国」、もう一つは「法隆寺」だ。このうち、邪馬台国については「青州で思ふ(4)」で述べたとおり、山形明郷先生が『卑弥呼の正体』(三五館)を世に問い、完膚なきまでに邪馬台国を巡る近畿vs.九州の両説を粉砕、邪馬台国は中国の遼東半島に在ったことを立証済みである。尤も、未だに邪馬台国は日本の近畿か九州に在ったと、信じ込んでいる人たちが圧倒的多数を占める日本なので、本当の邪馬台国は遼東半島に在ったという歴史的事実が、広く受け容れられるようになるまでには、まだまだ気の遠くなるような年月がかかることだろう。、ご参考までに、以下に日本で〝常識〟になっている版図を示す。 ![]() もう一つ、日本の歴史で最大の謎である法隆寺だが、同寺が建立された経緯や、同寺に伝わる仏像や美術芸術品の出自など、未だに謎が多いとされている(亀さん注:法隆寺の仏像は北魏由来である。「青州で思ふ(3)」参照)。さらに、法隆寺最大の謎として、同寺の再建・非再建論争がある。この論争の火種は日本書紀に法隆寺が全焼したという行があるためで、それが以下の天智天皇九年(六七〇)の条だ。
![]() ところが、ここに来て従来の法隆寺再建論争とは別に、法隆寺は移建されたという新見解を示す人物が出現した。それが本稿の表題となっている、『法隆寺を科学する』(白馬社)の筆者・天野正樹氏である。天野氏はあの西岡常一(宮大工棟梁)と、法隆寺東室(ひがしむろ)の解体修理時、協同で調査を行った人物である(昭和32~34年)。 その天野氏、従来の法隆寺再建説あるいは非再建説のいずれにも立たず、法隆寺移建説を唱えているのだが、そのあたりは『法隆寺を科学する』で物の見事に立証されており、この機会に一読されることをお薦めする。加えて、同書の「序」で飯山一郎さんが、以下のような〝添え華〟を書いている。
以上を理解できれば、大転換期の真っ只中にある我々にとって、以下の飯山さんのメッセージは生きていく上での羅針盤となり得よう。
ところで、『法隆寺を科学する』のp.71に示す斑鳩の里は、基本的に道路や建物が磁北よりも20°ほど西寄りの角度になっている。そのあたりの背景について特に同書では言及していないので、背景を知りたい読者には栗本慎一郎氏の『シリウスの都 飛鳥』を勧めておこう。実は、この20°のズレは「聖方位」と言い、渡来人であった蘇我氏が日本に持ち込んできたものなのである。 ![]() 『法隆寺を科学する』p.71 ![]() |
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